花筐~花がたみ

気ままに各地を歩きながら撮った写真をメインにして・・・


“梅田・ミニミニオフ会から阪急・石橋駅へ”からの続き>

かつて通学時に歩いていた道を進むと
国道171号と176号との交差点となる。

当時の、この交差点の様子がどうであったのか
さっぱり思い出せない。

141022交差点

交差点の角にある掲示を見て
「へえ~~ここから構内になっているとは知らなかったなあ」

交差点を左折して“構内”に入る。

道の両側には当時と同じように店が並んでいるが
当時のままではなく何度か代替わりしているのだろうね。

店が途切れると大学名を刻んだ石があり
「ほお~~」とびっくり・・・

当時の突き当りには看護関係の施設があって
そこの門を通り狭い山道を上がり
弓道場(体育で使っていた)から学舎に向かうこともあったが
普通は突き当りから道なりに右へ進んだものだ。

141022博物館前今昔
上段は現在、下段は1967年頃の突き当り)

現在、突き当りの左には
“大学総合学術博物館 待兼山修学館”があり
Saas-Feeの風在学中の1964年に
キャンパスの建設現場から発見された
ワニ(マチカネワニ)の化石が展示されている。

当時は医学部付属病院石橋分院であった建物だ。
Saas-Feeの風は講義の合間に通院したことがある。

道なりに進むと“待兼池”がある。
特に何もない普通の池だが
当時はシンボル的存在であったような気がする。

畔への階段を下りて写真を撮る。

141022待兼池


“待兼池”の左の緩やかな坂道を上がる。
途中で振り向き当時の写真と同じようなアングルで撮ってみる。

141022待兼池サイド今昔
上段は現在、下段は1967年頃)

下段写真の奥、階段は“待兼池”の畔へ続く。


何とまあ、緑の多いこと

141022ロ号館前今昔
上段は現在、下段は1967年頃 ほぼ同じ場所を撮っている)


写真の奥のほう、突き当り付近で振り返って写真を撮る

141022キャンパス間連絡バス

吹田学舎との連絡バスがあるのだねえ~。

当時のことをはっきりとは覚えていないが
東野田にあった工学部を吹田(千里だったかな)に移すという話を
聞いたような気もするが・・・。

突き当りを右へ進むと我が学び舎があり
そこを通り過ぎてさらに進むと
“正門”なるものがある。

きれいだよなあ~。

141022北正門今昔
上段は現在、下段は1967年頃)

現在は“正門”前にはモノレールが走り
あたりは大きなマンションが建つ近代的な街並みになっている。

写真には見えていないが
モノレールの向こう側 斜め下には
中国自動車道が通っている。

141022北正門前
当時のここからは
ただただ広がる原野しか見えていなかったのだ。

集合時刻になり学び舎に入る。
1968年3月に卒業して以来
46年ぶりのことだ。

左上はエントランスホールに掛けられたレリーフで
学部創設者で学長でもあった正田健次郎氏の像と言葉。
健次郎氏は美智子妃の伯父である。

中央は学部を表すΣの由来を記したパネル
学生服の襟章がΣだった。
(工学部はT 理学部はS)

141022Σ館

エントランスホールのクラス仲間たち

研究室を訪問
太陽エネルギー研究について・・・松村教授(右上)
テラヘルツ波研究について・・・永井准教授(右下)

ウ~~~ン、難しい~~

〆は難しくないSaas-Feeの風の当時と現在の様子を~~

Saas-Feeの風今昔
左は1967年頃 研究室にて 右は2014年01月04日 プロ作の似顔絵)

髪の分け方が当時は右分け、現在は左分けだな。

それはどうでも好いことで・・・

そろそろ宴会・宿泊の“みのお山荘 風の杜”から
迎えのバスが来るから“待兼山修学館”に向かおう。

(撮影 2014年10月22日(水) OLYMPUS XZ-10
(モノクローム写真は手づくり卒業アルバムから)

<続く>

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プロフィール

Saas-Feeの風

Author:Saas-Feeの風
ニックネームは
スイスの村名に因みます


マッターホルン
(撮影 2006年07月12日)

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