花筐~花がたみ

気ままに各地を歩きながら撮った写真をメインにして・・・


もう20年も経ったのか・・・

阪神淡路大震災

Saas-Feeの風はその日から3日後の
1995年1月20日に現地を歩いた。

阪急神戸線は梅田駅から西宮北口駅までは通じていたが
そこから神戸三宮駅までは不通であったから
西宮北口駅から実家(最寄りは夙川駅)まで歩いたのだった。

ここから北(写真奥)へ200メートルほどのところに実家があり
その木造二階建ては全壊していた。

950120-08-1.jpg

住んでいた両親はたまたまSaas-Feeの風の家に滞在中であり
同居の末弟は米国出張中であったため幸いに3名ともに難を逃れた。

震災当日か翌日のことかは忘れたが
末弟の帰国便は予定の関空が使えなくなっているため
成田まで飛んで着陸し、彼はそこから夜を徹して実家まで戻った。

同じく全壊した隣家のご夫婦は落下した梁が支えになり
それによって作られた狭い空間の中で命が助かった。

後日になって判ったことだが
実家は活断層の真上に建っていたという。


阪急神戸線の高架橋脚

950120-01-1.jpg


阪急神戸線の高架

東から西(神戸方面)を撮っていて
この先に夙川駅がある。

950120-11-1.jpg

から少し西へ歩いたところ

950120-12-1.jpg


線路が浮いている。

950120-17-1.jpg


更に西へ歩いたところから
東(大阪方面)を撮っている。

950120-19-1.jpg


道路の亀裂は至るところにあった。

950120-20.jpg


実家から南へ100メートルほどのところ

950120-24.jpg

(撮影 1995年01月20日(金) ネガフィルム)

神戸ではこの震災を知らない人たちが
40%ほどになっているそうだ。

その40%とは
他地域から移住した人たち
震災以降に生まれた人たち

忘れ去られるかもしれない被災の教訓を伝えるべく
自治体が活動を続けているという。

Saas-Feeの風も
あの日の生々しい惨状を忘れかけているから
撮っていた写真をアルバムから取り出したのだった。

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阪神淡路大震災
昨日はご苦労様でした。

大変な大災害でしたね。
亡くなられた方がたくさんおられたのに、みなさんご無事でよかったです。
20年前は、まだ、現役でした。建築ざいりょうの健久をしておりました関係で、3日後、現地視察に行かされました。
電車が無いので、大阪天保山から船で神戸港まで行きました。
地下鉄は動いていましたので、電車で三宮へ出ました。
地下で、大きな余震に合い、びっくりしました。
あれから、20年になるのですね。
[ 2015/01/17 06:37 ] [ 編集 ]
おはようございます
このような写真を見ると恐ろしいですね
私の母親は関東大地震で瓦が頭にあたり1cmぐらい
剥げてました、地震が来ると大騒ぎをする母親を見て
笑いましたが、経験する一しない人の差が出てくるんですね
私は先の東日本の地震では何もできずにいました。
[ 2015/01/17 08:46 ] [ 編集 ]
20年
どうやらボクの知り合いの中では最も近くであの災難を経験されたのはSFの風さんであったようです。
夙川のお坊ちゃんだったのですね、なるほど。
しかし、ご家族皆さま奇跡的に実家にご不在で、なによりも不幸中の幸いでした。
20年前のネガフィルムの写真の臨場感、報道カメラの客観性とは違った実感ひしひしです。
[ 2015/01/17 08:53 ] [ 編集 ]
No title
僕などは徳からテレビで見た光景ですが現場は凄かったでしょうね。
自宅が全壊なんて当時は大変だったことでしょう。
20年経つと神戸でもかなり知らない人が多くなるものですね。
[ 2015/01/17 08:56 ] [ 編集 ]
おはようございます
いかちゃんこの時は東京で。。。
何があったのか???
親戚、知人に電話してもかからず、焦ったものです。
でも、親戚・知人に大きな被害がなかってホッ!とした記憶が・・・

ただ、時間が経つにつれて、その大きさに、正確な判断ができなかったのを今も痛烈に記憶に残ってますぅ~~~
[ 2015/01/17 08:59 ] [ 編集 ]
あれから20年
あれから20年経つのですね。
前日まで連休を利用して四日市にいました。
横浜に帰って、朝食を食べていたときに
かすかに揺れて「あ、地震?」と気づいたのを覚えてます。
それから間もなくして速報で大阪で大きな揺れがあったと
伝えられ、それからどんどんと「えっ!?」と
眠気が吹っ飛ぶような被災地の様子が映し出されました。
Saas-Feeの風さん家はどなたも在宅されていなくて
不幸中の幸いでしたね。
私の親戚や友人たちも神戸周辺に住んでいましたが
皆さん全壊、半壊の被害を受けた中九死に一生を得て
助かっています。
叔父の家は、新築1週間で壁に大きな穴があきました(´-ω-`;)
阪神、新潟、東北と大きな揺れが20年間で3回ありました。
次はわが身かも?と震災の日にはいつも気が引き締まります。
[ 2015/01/17 09:02 ] [ 編集 ]
No title
SaasーFeeの風さん、おはようございます♪
あれからもう20年もたったのですね。
町は綺麗になりましたが、心の傷が癒えない方はまだ
大勢いらっしゃるのでしょうね。
団地に住んでいた時の友人のご主人が神戸に転勤になり、
東灘区のマンションに住んでいましたが、
寝室の箪笥と箪笥がぶつかって隙間が出来、命拾いをした
というお手紙をいただいたことを思い出しました。
「天災は忘れた頃にやってくる」と言われていますが、
忘れもしないうちに東日本大震災がありました。
天災は防ぐことはできませんが、備えだけは最低限して
おかなくてはと思っています。
[ 2015/01/17 09:23 ] [ 編集 ]
おはようございます
被害の状況はテレビで見ていました。
出社すると大阪と神戸支店の状況を確認しようとしましたが、電話がつながらない。携帯電話がない時代でしたので
連絡に困りましたね
大変な被害でしたね
[ 2015/01/17 09:26 ] [ 編集 ]
おはようございます♪
神戸の実家は、地震以前に亡くなった兄が生前、
小さい家を、自分で改装したり補強したりで、
大きな被害もなく残りました。
周りの家が崩壊し、近隣の会社などの立て直しで、
せっかく残った家を、手放す事にはなりましたが・・・

その時は香川に暮らしてた母達の事が心配でしたね。
松山でも相当揺れたので、香川ではもっと揺れが大きく
電話が通じず、不安になった事を思い出しました。
その後、愛媛はまた芸予地震で揺れました。
もう地震は嫌ですねぇ~少し揺れてもトラウマで、
今でも恐怖心が倍増します。
[ 2015/01/17 09:34 ] [ 編集 ]
岐阜は震度4でした
その時、ご一家全員が神戸を離れておられたとは・・・
神に守られておられたといかいいようがありません。

この写真は、新聞社のものよりも価値があると思います。
時がすぎればすぎるほど・・・
[ 2015/01/17 09:48 ] [ 編集 ]
こんにちは~
あの日からもう20年経つのですね。
私はTVの中継を朝からズーット見ていて大自然の
恐ろしさに驚いていました。
高速道路を支えていた支柱が倒れてしまい、道路が
傾いてしまっている映像は忘れる事はできません。
また住民通しが助け合って被災した人を助け出して
いる様子に人間愛を感じました。
災害は忘れた頃にやってくると言われていますが、
阪神・淡路の教訓を生かして欲しいですね。
[ 2015/01/17 12:45 ] [ 編集 ]
No title
こんばんは (^o^)/
本当に早いもので、あれからもう20年も経ったのですね。
この日の朝、起きて食事をする際すでにニュースを見ていた両親が「神戸がえらいことになっとる」と言っていたのを覚えています。
その数日後、日本の地理をほとんど知らないドイツの友人から手紙が届き「無事ならば連絡をくれ」と言う内容が書かれていました。
こうして改めて写真を拝見しますと、いかに酷い地震だったかがよく分かります。
それにしましても風さんのご家族が皆御無事で何よりでした。
[ 2015/01/17 22:26 ] [ 編集 ]
震災
もう20年なんですね。
大変な被害に遭われていたのですね。
当時叔母が東灘にいましたが運よく無事でした。
その後大分へ戻りました。
記憶を新たにしたいと思います。
[ 2015/01/17 22:46 ] [ 編集 ]
No title
すさまじい状態ですね。こんあお写真が残っているんですね。そういえばもう処分してしまったかと思いますが、母のアルバムに関東大震災の時の地割れの写真があってびっくりしたのを覚えています。
[ 2015/01/18 00:04 ] [ 編集 ]
お元気そうで何よりです!
SaasーFeeの風さん、こんにちは。ご無沙汰しております!
とても貴重なお写真を、ありがとうございます。
ご実家が、大変なことになられ、お辛かったと思いますが、皆様のお命がご無事で何よりでした。
私も当時は、大阪が勤務先でしたから、近辺から通っていて大きな災難に遭われた方たちは、身辺が落ち着くまで、会社を休まれていたことなど、リアルに思い出します。。。

ところで、来月、東京に行く予定があるので、子供の好きな南極犬、ジロの剥製を見に、私も上野に行こうと思っています^^
本郷の大好きな美術館にも行き、根津の町散策がてら、ずっと気になっている、すみれさんに行けたらいいなと思っています!
[ 2015/01/18 11:32 ] [ 編集 ]
No title
もう半世紀も前の話、大学卒業後、灘の病院に勤めていました。
全壊でした。もしそこに住み着いていたらどうなったのか?
泣く泣く? 田舎に帰りましたが運命って分からないですね。
[ 2015/01/18 19:32 ] [ 編集 ]
こんばんは~♪
貴重な写真が、ありましたね!
復興は着々と進んでいるようですが
仮設住宅の孤独死が、まだ続いている‥‥ とか

災害が多い、日本です(*´ω`*)
[ 2015/01/18 21:20 ] [ 編集 ]
こんばんは
小生は博多に単身赴任中 地震発生してすぐに嫁さんに
連絡し無事を確認しました 帰ってから家を確認すると
石垣が崩れ家は今でも少し傾いたままです 自然災害は
どうしようもなく諦めるしかないと思っていますよ
[ 2015/01/18 21:23 ] [ 編集 ]
こんばんは
20年経つたんですね
テレビで見る被害の大きさに驚いてました
Saas-Feeの風さんも被害に会われたんですね
ご家族皆様無事で良かったですね
[ 2015/01/18 22:35 ] [ 編集 ]
おはようございます
今年は新年会が多くて、昨日は二日続きで完全ダウンでした。
26日に向けて体調を整えないと。。。楽しみにしています
[ 2015/01/19 05:23 ] [ 編集 ]
こんにちは~
ご実家が被災されたのですね!!
もう20年も経ったなんて早いですね~
TVで長田町の復興が思うように進んでいないことが
紹介されていましたが復興の難しさを感じました。
[ 2015/01/19 13:46 ] [ 編集 ]
No title
1月17日、朝から阪神淡路大震災から20年の
テレビ報道を見ながら私も20年の年月を感じました。
20年経ても当時の恐怖は決して忘れ去る事は有りません。
床で感じた強く突き上げるような激しい揺れ、続く余震
そして遠くで燃え盛る凄い火災、救急車、消防車などの
騒音に恐怖で震えたものでした。
ご実家が全壊だったのでね。でもご家族がご無事だったのは
本当に良かったと思います。
交通網が絶たれて、通勤に当時は線路伝いに良く歩きました。
神戸で震災を知らない人が40%に成っていると
お聞きして、震災の記憶、教訓伝承の大切さを感じます。
お写真拝見して、当時が更に甦りました。
こうしてのご紹介は、多くの方に見て欲しいものです。

遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。
[ 2015/01/19 14:13 ] [ 編集 ]
大変でしたね
今更ですが 改めて映像や写真を見ると
ほんとに凄かったんですよね。
あの日は 大阪もかなり揺れて とても怖かったです。
それでも大した被害もなかったのですが
遠方に住む 母や友人が 電話が通じなくて安否をかなり心配してくれたようです。
いろんなことが思い出されます。
[ 2015/01/19 14:48 ] [ 編集 ]
20年も経ちましたね
20年前の事ですが記憶に残る大惨事でした。
その日友人とゴルフに行くため早起きをしてTVを見ながら
食事をしていると画面に神戸市街と火柱が・・・
かみさんを起こし自宅へ連絡させました。
両親の住む住吉へは夕方まで電話が不通で状況が分かりません。
夕方公衆電話で全員無事が確認できました。
Saas-Feeの風さんの写真を拝見して改めて
被害の大きさに驚いています。
[ 2015/01/19 15:48 ] [ 編集 ]
余りの惨状に涙が出ました
風さんの家も全壊だったんですか。
しかし、ご家族全員ご無事で、“不幸中の幸い”でよかったですね。
massanもあの時のショックは今でも鮮明に憶えています。
出張のために朝早く起きかけた時に“ドーン”ときて、立っておられない揺れが続きました。我が家は無事でしたが、行き先を大阪空港から会社に変更して、家を出ましたが、信号が消えて大混乱。
何とか会社にたどり着くと、ビルが傾き、西の方(神戸の方)を見ると煙が数箇所から上がっていました。
数日後、阪神電車・青木駅⇔三宮間ピストン運行のバスに乗って、母校のある長田界隈を歩いて回りましたが、余りの惨状に涙が出ました。
もう二度とあんな目に遭いたくないですね。
[ 2015/01/20 09:40 ] [ 編集 ]
もう20年?
めぐる月日の早さ。あれから20年の歳月が過ぎたのですね
御実家が全壊されたのも、かかわらず、御家族様に被害が出なかった事は、不幸中の幸いでした
後片付けも大変だったと、お察しいたします。

ここのところ、報道番組に見る、事件事故の規模が大きく、また残虐に思えます。年々、エスカレートしていくような不安に駆られます。
今年は、穏やかな年でありたいですね。

[ 2015/01/20 12:54 ] [ 編集 ]
今日は
ご両親も末弟さんも不在で幸いでしたね。
ma_kunは揺れと同時に飛び起きて子供やカミさんを
起きろ~と叫び起こしました。
幸いにもモルタルの壁に亀裂が入っただけ済みました。
あのころ阪神梅田駅は毎日支援物資を運ぶ人達で
ごった返していました。
[ 2015/01/20 14:22 ] [ 編集 ]
Σ mcnjさんへ
3日後ということはSaas-Feeの風が西宮の実家まで
歩いて行った日と同じ日ですね。
神戸の地下鉄が動いていたとは驚きです。
地上ではビルが傾き、高速道が崩落していましたのにね~。

阪急・西宮北口から実家まで歩く途中で
石垣の崩壊や神社の燈籠の倒壊など
もちろん家屋の倒壊もありました。
[ 2015/01/20 17:11 ] [ 編集 ]
Σ Imaipoさんへ
地震で揺れると怖いですよ~。
東日本大震災の発生時には
家でパソコン前に座っていました。
イヤにめまいがするなあと思いました。
あとで地震と判りビックリ!
テレビの報道に釘つけになりました。
[ 2015/01/20 17:13 ] [ 編集 ]
Σ kurakameさんへ
たまたま3人とも留守をしていたので助かりました。
偶然に感謝ですね。
西宮北口駅から実家まで歩く途中で写真を撮っていました。
もっとたくさんありますが
ここではこの数だけに絞り掲載しました。
[ 2015/01/20 17:16 ] [ 編集 ]
Σ 三面相さんへ
もう20年も経っていたのか・・・再認識しましたね。
振り返るとこの20年の間に身辺では
さまざまなことがありました。
そう思うと、やはり20年は長いです。
でも地震から20年、これは短かったというおかしなことになるのですよ。
[ 2015/01/20 17:19 ] [ 編集 ]
Σ いかちゃんへ
東京でしたか・・・。
大阪のことが気がかりだったことでしょう。
テレビ画面の惨状に愕然としていましたよ。
東日本大震災のときにも同じ経験をしましたね。
もうたくさんです。
[ 2015/01/20 17:22 ] [ 編集 ]
Σ やっこさんへ
四日市でも揺れました。
揺れて目が覚めテレビで大地震と判りました。
出社して全社会議中に当時は普及していなかった携帯電話を
社長が貸してくれて
それで縁者と連絡をとろうとしましたが
まったく通じなくてやきもきしていました。
そのうちにバッテリー切れ・・・当時のバッテリーは現在ほど長持ちしなかった・・・。

東日本大震災の時には家でパソコン前に座っていました。
なんだか目まいがするな、イヤに長く続くなと思っていたら
大地震でした。
もうたくさんですね、揺れると怖いですよ。
[ 2015/01/20 17:27 ] [ 編集 ]
Σ hiroさんへ
東灘も大きな被害となりましたね。
助かって好かったです。
家具の下敷き、天井の下敷き・・・
それが原因で亡くなった方が多いのですよね。
Saas-Feeの風の実家の隣のかたも隙間で命拾いなさいました。
神戸も西宮も震災後の復興で街が美しくなっています。
それが多くのかたの犠牲を代償としていることに
何かすっきりできないところがあるのですよ。
[ 2015/01/20 17:32 ] [ 編集 ]
Σ ヒューマンさんへ
そうだったのですよね、
携帯電話が普及していなかった。
社長から借りた携帯電話はトランシーバーのような大きさでした。
その携帯電話で西宮と連絡をとろうとしましたが
まったく通じなくてイライラしましたよ。
そのうちにバッテリーが切れてしまって・・・。
[ 2015/01/20 17:34 ] [ 編集 ]
Σ ベルさんへ
神戸のご実家が倒壊しなかったのは
補強が的を射ていたのでしょうね。
我が実家は建築が昔のことで地震対策なんてしてなかった。
大地震には簡単に崩壊する代物だったのでしょう。

東日本大震災のときにはめまいがするなあなんて思っていましたよ。
イヤに長く続くのでそんなに体調が悪いのかとも・・・。
でもさすがに長いので地震じゃないかとテレビをつけて驚きました。
そばにあったラジオでは何も言わなかったのですよ。

ここしばらく、大きな揺れに見舞われておりません。
そのうちにドカッと来るんじゃないかと恐れております。
[ 2015/01/20 17:40 ] [ 編集 ]
Σ matsubaraさんへ
実家がもぬけの殻であったことは幸いでした。
居たら隣家のように助かっていたとは限りませんからねえ。

写真はもっとありますが、、ここではこれだけを掲載しました。
[ 2015/01/20 17:42 ] [ 編集 ]
Σ 蓮の花さんへ
当日は定例の全社会議の日でしたから
会議中に社長から当時は普及していなかった携帯電話を借りて
西宮と連絡をとろうと試みていました。
でもまったく通じなくて困りました。
テレビ報道画面で惨状を見るばかりでしたね。
地震が怖いです。
[ 2015/01/20 17:47 ] [ 編集 ]
Σ 慕辺未行さんへ
この日は揺れで目が覚めました。
その時には大地震とは知らずに
テレビをつけて初めて大惨事になっていることを知りました。
あちこちで煙が上がっているのを見て、
これは大変な事態と認識したのは出社後でしたよ。

偶然にも実家がもぬけの殻・・・ラッキーでした。
[ 2015/01/20 17:50 ] [ 編集 ]
Σ 大連三世さんへ
東灘も大きな被害がありましたが
ご無事で好かったです。
6000人を超える死者が出たことに
当時は大きな衝撃を受けました。
東日本大震災ではその数をはるかに超える犠牲者が出て・・・。
予知できないなら起きても大丈夫な備えが要りますね。
[ 2015/01/20 17:54 ] [ 編集 ]
Σ agewisdomさんへ
もっと撮っていますが、ここではこの写真だけにしました。
写真を見ている当時の様子を思いだしますね。
関東大震災の記録は保管なさり
後世に伝えても好かったような気もしますが・・・。
[ 2015/01/20 17:57 ] [ 編集 ]
Σ マロニエのこみち・・・。さんへ
ご無沙汰しております。
お変わりないご様子、ブログをときどき拝見しておりますよ。

数ヶ月後に大阪に出張した時、梅田の阪神百貨店に寄ったのですが
壁に大きな亀裂が入っていて、この程度ですんで好かったと思ったことを覚えています。

実家では誰もいなくて幸いでした。

すみれのこと、YAKKOさんに連絡してあります。
Saas-Feeの風のブロ友とYAKKOさんにお話し下さいね。
18時開店です。
[ 2015/01/20 18:03 ] [ 編集 ]
Σ hashiba511さんへ
お立ち寄りありがとうございます。
灘の病院にお勤めだったのですか。

泣く泣く・・・が、幸いしましたね。
どこで人生が変わってしまうのか判らないものです。
これからもよろしくお願いしますね。
[ 2015/01/20 18:05 ] [ 編集 ]
Σ エゾモモンガさんへ
東日本大震災は阪神淡路大震災よりも多くの犠牲者を出しましたね。
北海道でも大きく揺れたのでしょうね。
古くは奥尻島のことを思い出しますよ。
[ 2015/01/20 18:07 ] [ 編集 ]
Σ 熊取のおっちゃんへ
熊取でも被害が出たのですね。
出張中のことなら気がもめることでしたでしょう。
連絡がつき難かったからねえ。
[ 2015/01/20 18:10 ] [ 編集 ]
Σ たんたかさんへ
偶然にも実家には人がいなくて
いたら大変な事態になっていましたね。
あれから20年、両親はすでに他界していますし
これまでに様々なことがありました。
長いようで短い20年です。
[ 2015/01/20 18:12 ] [ 編集 ]
Σ いかちゃんへ
26日にはよろしくね。
楽しみにしています。
1年ぶりになるのかな。
[ 2015/01/20 18:13 ] [ 編集 ]
Σ IKUKOさんへ
活断層の真上に建っていたなんてねえ~。
後から聞いてびっくりしました。
昔はそこまで考えずに建てたのでしょう。
長田区はきれいになりましたね。
[ 2015/01/20 18:15 ] [ 編集 ]
Σ すみれさんへ
大変だったでしょうね、すみれさんのところは
まさに大きな被害のでたところなのでしょう。
梅田から阪急電車に乗り車窓の景色を眺めていると
武庫川を買えた西あたりから被害の大きさが酷くなっていましたね。

西宮北口駅から歩き始めると被災家屋が至るところで見られて衝撃を受けましたよ。

実家に行ってみると二階建てがペシャンコになっていて
地震の大きさを実感しました。

東南海地震がそのうちにとのこと・・・
怖いですね。
[ 2015/01/20 18:21 ] [ 編集 ]
Σ NANAさんへ
数ヶ月後に阪神百貨店に寄ったのですが
壁の大きな亀裂が入っていて
ここでもこんな被害がと思いながら見ていました。
でも神戸の被害は酷かったですね。
地震で家が揺れると怖いですよ。
[ 2015/01/20 18:24 ] [ 編集 ]
Σ Golfunさんへ
住吉の皆さんがご無事で好かったです。
電話が全く通じなくてイライラしたのですが
公衆電話から通じていたのですね。
当時は携帯電話が無くて、社長からトランシーバーくらいの
携帯電話を借りて西宮と連絡をとろうとしていました。

結局、実家の様子が判ったのは、
末弟からの連絡があったときでした。
[ 2015/01/20 18:29 ] [ 編集 ]
Σ massanさんへ
長田区は最も酷い被害に遭ったところでしょうね。
気持ちはよく判ります。
幼いころから見なれた光景が
惨状の舞台になっているのですから。

よくまあ会社まで辿り着けたものです。
街なかは大混乱していたでしょうに。

仙台に行った時に東日本大震災の被災地を廻りましたが
あちこちで復興の工事をしています。
なかなか元には戻りませんね。
[ 2015/01/20 18:35 ] [ 編集 ]
Σ のんきさんへ
偶然にも実家に誰もいなくて、家屋だけの被害で助かりました。
家屋の後片付けには弟たちが泊まり込みで行なってくれました。
Saas-Feeの風は酷い風邪に罹っていて西宮まで出向けず・・・。
当時、末弟は「思い出の品はまったく無くなってしまった」と云っていましたね。

全てが瓦礫に埋もれて、トラックでどこかの埋め立て地に運ばれたのでしょう。
[ 2015/01/20 18:39 ] [ 編集 ]
Σ ma_kunさんへ
武庫川を境に被害が全然違っていたように思いますよ。
阪急電車の車窓を流れる光景から、そのように感じました。
梅田と西宮北口との間は電車が動いていましたね。
亀裂だけで好かったです。
[ 2015/01/20 18:42 ] [ 編集 ]
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Saas-Feeの風

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(撮影 2006年07月12日)

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