花筐~花がたみ

気ままに各地を歩きながら撮った写真をメインにして・・・


ひと月前のことになってしまったが
6月3日に福井敦賀市にある“金ヶ崎城跡”から
ラムサール条約登録の“中池見湿地”まで歩いてきた。

6月21日のブログ記事には一足先に
その湿地で撮ったアザミからアザミへ飛び回る
“モンキアゲハ”を紹介している。

“撮ったチョウは負傷していた 福井県敦賀市”

“モンキアゲハ”に出会う2時間前には
金ヶ崎駐車場をスタートして“金崎宮”に向かっていた。

駐車場の横には赤煉瓦造りの建物がある。
過去に幾度か来ているのに
この建物には気づいていなかった。

敦賀港駅ランプ小屋”

140603敦賀港ランプ小屋

掲示によると1882年(明治15年)頃の建造
列車で使ったカンテラの灯油を
保管していた危険物倉庫で
“ランプ小屋”と呼ばれていたそうだ。

掲示には・・・
敦賀は日本海側で最初に鉄道が走ったところであり
当初、敦賀港駅は金ヶ崎駅の名だったそうで
1912年に新橋と金ヶ崎間に欧亜国際列車が
週に三回走るようになって国際港敦賀港が賑わうようになった
・・・そんなことが記されている。

2006年12月08日(金)には
気比神宮から10分ほど歩いてこの場所へ
そして金ヶ崎城跡を経て敦賀の港町へと歩き
レトロな敦賀港駅や赤煉瓦倉庫群を見ている。

“敦賀港駅ランプ小屋”の向かいに建つ
“芭蕉翁鐘塚”

140603敦賀芭蕉翁鐘塚

まったく判読できないが
傍らの掲示によると
“月いづこ 鐘は沈る うみのそこ”
1689年(元禄2年)8月15日に詠んだと記してある。
1761年(宝暦11年)の建立だそうだ。

“奥の細道”の芭蕉は敦賀に3日間滞在していたらしい。


“金崎宮”

140603敦賀金ヶ﨑神社

祭神は足利尊氏に追われた新田義貞に奉じられ
“金ヶ崎城”に入った恒良親王と尊良親王。

“金崎宮”の左手に
“史跡 金ヶ崎城址”の石碑がある(写真右下)

“金ヶ崎城”は南北朝時代には
新田義貞が拠点としたことや
室町時代末期には朝倉義景を討つため進撃した
織田信長によって開城されたことで知られ
またこの時に浅井長政の寝返りに遭ったため
信長が秀吉をしんがりにして
京へ退却したという舞台にもなっている。

因みにしんがりの秀吉を支援したのが家康であり
このトピックはNHK大河ドラマの中で何度か採り上げられていた。

石碑の左に続く山道を進む・・・
いや、“上る”と云うほうが当たっている。

140603敦賀金ヶ﨑城跡

10分ほど登ると“金碕古戦場”と刻まれた石碑がある。
写真左中段)

写真左下は写真左中段に写る傘の人のいるあたりから撮った敦賀港

あたりは平たんな広場になっている。
“展海広場”と呼ばれるらしい。

掲示によるとここは金ヶ崎の最高地(86m)になり
南北朝時代の“金ヶ崎城”の本丸跡
通称“月見御殿”とのこと。
戦国時代の武将がここで月見をしたという。

140603敦賀金ヶ﨑城跡月見御殿址

“月見御殿”を先へ進むと敦賀湾が見える。
右に見える黒いものは石炭の山のようだった。


“月見御殿”から“三の木戸跡”を経て“二の木戸跡”へ
そして“一の木戸跡”をへと進む。

140603敦賀金ヶ﨑城跡-2

最初は下りだが途中から長い上りになって
そこが最もくたびれたところだった。

“月見御殿”から35分くらいかかって
“天筒展望広場”に到着した。
写真中段)
140603敦賀金ヶ﨑城跡-3

掲示によると、ここは“天筒山”(てづつやま 171.3m)
南北朝時代から戦国時代にかけて
金ヶ崎城の支城の天筒山城があったところで
その中の見張り台になっていたところだそうだ。

この場所で休憩・食事をする人たちが多かったが
Saas-Feeの風は敦賀の海の写真を撮ってから
あと20分も歩けば湿地に出るはずだということで
先へと進んだのだ。

しか~し・・・金ヶ崎城跡へ上がって下って
尾根を歩いて手筒山へ・・・
そんなことでもゼーゼーゼー・・・
息が上がり続けなのだ
キツイなあ~と思いながらも
下りの山道から湿地へ向かう。

(撮影 2014年06月03日(火) OLYMPUS XZ-10

<次回は“ラムサール条約登録の中池見湿地”>

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おはようございます
ランプ小屋、赤レンガ良い雰囲気ですね
レンガ造りのものは興味があります
良い旅されてますね。
[ 2014/07/03 08:26 ] [ 編集 ]
No title
ここは行ったことがないので興味がわきました。
歴史的にも見応えがありあそうですね。
[ 2014/07/03 08:37 ] [ 編集 ]
おはようございます
歴史を感じますね
芭蕉はここにも滞在したとは。
でも芭蕉は全国を旅した費用はどうしたのかとふっと思いました
[ 2014/07/03 09:07 ] [ 編集 ]
新田義貞
群馬の豪族新田義貞の登場ですね。
上毛かるたには「歴史に名高い新田義貞」
と読まれています。
徳川家発祥の地ともいわれる
旧新田郡新田町に義貞挙兵の地など史跡があります。
[ 2014/07/03 19:54 ] [ 編集 ]
No title
敦賀ってこういうところなんですね。日本海側はほんの点々でしか知りません。なんか太平洋側とは海の趣も違っていますね。
[ 2014/07/03 22:23 ] [ 編集 ]
おはようございます。
レンガのランプ小屋・・・・レトロでいい雰囲気ですね(^^)v
ずいぶん歩かれたのですね!!
[ 2014/07/04 08:15 ] [ 編集 ]
おはようございます~
ここにも歴史的な建物が残って
いるのですね。
レトロな建物には興味があります。

S-Fの風さん、ずいぶん歩かれた様
ですが、自分の体力の事も考えて
無理はしないで下さいね!
[ 2014/07/04 09:58 ] [ 編集 ]
敦賀
敦賀というと高倉健さんや
田中邦衛さんが出演された「夜叉」という
映画を思い出します。
寒くて厳しい・・・そんな港町です。

でもSaas-Feeの風さんのブログを見ていると
静かな良い街ですね。
湿地の花々も楽しみです。
[ 2014/07/04 10:11 ] [ 編集 ]
No title
こんばんは (^o^)/
敦賀は北陸方面へドライブする際、必ずや通る街なのですが、いつも素通りでこのような所があることは初めて知りました。
かつて『敦賀港駅』があったことは、知っています。
かつてナチスの迫害を受けたユダヤ人たちが当時リトアニア領事だった杉原千畝氏のビザにより、ロシアを横断し日本へやってきましたが、その時の港が敦賀で、この駅から神戸へと向かったそうです。
[ 2014/07/04 22:54 ] [ 編集 ]
句碑
敦賀は通過点で観光はしたことがありません。
貴重な文化財がありますね。
あの句碑はまん中が折れてなくなっているような
気がします。句が
途中までですし、あとは名前があるだけですから。
下の石には、変体かなで、はせを(芭蕉)
と書いてありますね。
[ 2014/07/06 08:37 ] [ 編集 ]
福井県には・・・
自分の足で立ち降りたことのない県のひとつです。
出張の多かった現役時代でしたが、福井県の他に立ち寄らなかった県は
和歌山県と山形県でした。
Saas-Feeの風さん、良く歩かれていますねぇ。
お元気で行動の由、嬉しく思います。
[ 2014/07/06 16:22 ] [ 編集 ]
Σ Imaipoさんへ
赤煉瓦造りの建物には歴史を感じますね。
見ると写真を撮りたくなりますよ。
[ 2014/07/06 21:04 ] [ 編集 ]
Σ 三面相さんへ
大陸との窓口だったのですね。
敦賀港には当時の建物が残っています。
[ 2014/07/06 21:06 ] [ 編集 ]
Σ ヒューマンさんへ
奥の細道の最終は大垣ですね。
旅の費用・・・そうですねえ、
後援者がいたのでしょうか。
[ 2014/07/06 21:08 ] [ 編集 ]
Σ 大連三世さんへ
新田義貞の新田郡は群馬でしたね。
新田郡は木枯らし紋次郎でも知られていますね、架空の人物ですが。
違ったかな(^^ゞ
[ 2014/07/06 21:12 ] [ 編集 ]
Σ agewisdomさんへ
能登や城崎、舞鶴、天橋立など日本海側には
何度か行きましたよ。
越前ガニの季節が好いですね。
日本海は「荒波」「寂しい」「厳しい」というイメージです。
[ 2014/07/06 21:16 ] [ 編集 ]
Σ IKUKOさんへ
こコ数年は、あまり歩いていなかったので
今年は出来るだけ各地を歩こうと思ってます。
でも暑い7月と8月とは休むつもりです。
[ 2014/07/06 21:19 ] [ 編集 ]
Σ 蓮の花さんへ
大丈夫ですよ、無理はしていません。
12-3kmくらいなら十分に歩ける距離です。
真夏のハイキングは大変なので7月と8月は休業です。
[ 2014/07/06 21:22 ] [ 編集 ]
Σ やっこさんへ
ウ~ン、その映画のことは知らないですねえ。
高倉健さんの映画なら何となくイメージできますけど・・・。
敦賀は昔から大陸との窓口となっていたところなので
歴史ある建物がたくさん残っていますよ。
[ 2014/07/06 21:25 ] [ 編集 ]
Σ 慕辺未行さんへ
こちらからだと敦賀が限界でしょうかねえ。
この後で行ったあわら市は敦賀の先、遠かったです。
敦賀は大陸鉄道の基点でしたから、仰るようにユダヤの人たちは
敦賀港駅を経由したのでしょう。
水戸天狗党の武田耕雲斎たちが敦海岸で処刑されましたが
そのときに閉じ込まれていた鰊庫や墓が残っています。
2006年に歩いたときに見てきました。
その歴史に興味の尽きない町です。
[ 2014/07/06 21:34 ] [ 編集 ]
Σ matsubaraさんへ
句碑は折れていたのですか。
なんだか形がおかしいなあと思っていましたよ。
“はせを”と刻んであるところまでお判りになって・・・
「さすが・・・」と感服しています。
[ 2014/07/06 21:38 ] [ 編集 ]
Σ やま悠作さんへ
出張が多かったのですねえ。
全国で足跡の無い県が3県だけとはねえ~~。
でも社用で飛び廻っている間に
各地を観光する余裕なんて無かったことでしょう。
Saas-Feeの風の場合、足跡の無い県の数はどれくらいあるだろうか。
かなりの数になるでしょうね。
[ 2014/07/06 21:45 ] [ 編集 ]
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(撮影 2006年07月12日)

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